FC2ブログ

日々の風景

いろいろなクイズに参加しています。
071234567891011121314151617181920212223242526272829303109

皇居 (江戸城跡)

大手門から皇居へ入りました。


和田倉橋

江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つです。

徳川家康が江戸に入った時、この辺りは和田倉という村落であった
という説があります。

ここを渡ると

昔の建物が見えてきます。


同心番所

警備の詰め所です。

城の奥の番所ほど位の高い役人が詰めていました。
ここは、同心が詰め、登城する大名の監視をしていました。


百人番所

本丸と二の丸へ通じる要所に置かれた番所です。
鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組・伊賀組・根来(ねごろ)組
二十五騎組の4組が昼夜交代で各組100人で詰めていたそうです。


富士見櫓

櫓は、倉庫や防御の役割をもった建物で
江戸城には、19の櫓があったそうです。


赤穂浪士の討ち入りで有名な松の大廊下跡。


石室(いしむろ)
非常の際の大奥用調度を納めたと考えられています。
内部の広さは20平方メートル
伊豆半島産の安山岩でつくられています。


天守台に上がると大芝生が望めます。


昔は、この大芝生に江戸城本丸御殿があったそうです。
大奥のドラマもここで繰り広げられていたのでしょうか・・


皇居正門石橋旧電灯


正門鉄橋・二重橋
通称二重橋は,その橋がまだ木橋であった頃,
橋の架けられていた部分の濠が深く,
橋桁を二重に組んでいたことから,
呼ばれるようになったそうです。

話題は、変わりますが江戸の名前の由来は、穢土からきているのでは、
ないかと聞いたことがあります。
穢土といえば、厭離穢土 (おんりえど、えんりえど)
浄土教の用語で
「厭離穢土欣求浄土」は戦国時代、徳川家康が馬印に用いられた
そうです。
意味は、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをし、
国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、
永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、
必ず仏の加護を得て事を成すとの意味。Wikipediaより

現在も、政界・経済界・・各界の人々が
東京で欲望のために戦いをしているよに感じます。



関連記事
スポンサーサイト



【 2011/06/09 】 東京 | TB(0) | CM(2)
re皇居
コメントありがとうございます。
皇居の花菖蒲は、
菖蒲園に比べるとこじんまりしていましたが
周囲の新緑の中で咲いていて
愛情たっぷりに育てられている印象を
もちました^^
【 2011/06/10 】 編集
皇居
歩いてみているように感じて見ていました。。
とてもきれいに整理されて見やすかったです。

花菖蒲、美しいですね~。
【 2011/06/09 】 編集
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL